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ダイジョブダイジョブ、実は誰にも存在価値なんざないから

  • 2009/01/09(金) 16:14:03

とか思うわけですよ。


※明るく前向きに生きようとしてる健全な人は、読むと反感を覚えるかもしれませんのでご注意を。

「自分の替えなんていくらでもいる。自分でなければできない事がない。」
などと嘆くのは、大前提に世界は回らなければならないという思い込みがあるからだと思う。

俺はこの世界にさして意味はないと思う。続かなければならないものだとは思えない。
こんな風に考えてしまえば、己に価値があるかどうかで悩むことはなくなる。自分と他人を比べて思い悩む必要もない。
世界に意味がなく、人そのものにも意味がなく、生きとし生けるものもそうでないモノも、すべからく意味はない。
「じゃあオマエは何の為に生きてんだよ?」
と聞かれたら、特に何かの為に生きる必要もないなと心の中で思うだろう。

だいたい何故、『何かのために生きねばならない』ことを前提に持ってくるのだろうか?
それは世界がそういう流れだからだろう。つまりは多数派によって設定された『よい方向』でしかない。大概の人は認められたい気持ちを持ってるだろうから、流れに乗らざるをえない。

でもま、誰だって思いたくないもんなぁ。己に価値がないなんて。俺だって面と向かって「オマエに価値はない」とか言われたら、ボロボロ泣くだろう。でも、否定はしない。できない。ソレについての結論はもう出してしまったから。


このように俺は、かなりうがった目を持ってる。
うがった俺の、うがった目でみえるのは、人の嫌な部分だ。そこばかりが気になる。そこばかりを気にして他人と接すると、誰も彼もが嫌な部分が普通にあるんだと思うようになる。(良いところが瞬時に嫌なところにかき消される狭い心の持ち主なのです。)
『誰も彼も』ってところに留意して頂きたい。俺が芸能人に特別に興味を持たないのも、キリストさまを特に信じていないのも、彼らもやはり人間であるという理由からだと思う。

ああ、俺に価値はない・・・・が、他人にもやはり価値はない。天才もバカもデキル人もデキナイ人も、皆どうしようもなく無価値だ。
・・・なんだ、それなら日々の生きようとする努力は必要ないじゃないか。肩肘張って、見栄張って、やっきになって己を磨く必要なんかないじゃないか。どうせ磨けても無価値だ。
ダイヤモンドとダイヤの原石とその辺の石ころと、なんの違いがあるものか。どれもただの石だ。



価値ある人とは、自分が価値ある人間だと信じて疑わない人だと思う。
『(他人にとってどうあれ)自分的に価値がある。』
ただそれだけだ。本人にしか理解できない、その人のみにしか適用されない価値。どこまでいっても独りよがり、であるのにそれが『価値』? ハ、まったくもって理解不能だね。そりゃ、ただの思い込みだ。


この記事ね、実は嘆いてる人にちょっとエールを送るつもりで書きはじめたんです。おかしいね、主に俺の脳が。

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